
ワルツとは?社交ダンス最初の種目になるまでの歴史と音楽構成・名曲や映画
ワルツとは?ヨーロッパ貴族の宮廷を起源とするロマンチックな音楽を持ち、社交ダンス愛好家からベテランダンサーまでその両方に最も人気のあるダンスです。しかし、その成り立ちはあまり知られていません。簡単にワルツの歴史や音楽についてまとめてみました。ワルツの有名な曲やそれが使われた映画も知ることができ、さらにワルツを楽しむことができます。ワルツ通への1歩を踏み出しましょう!
目次
The History Of Waltz ワルツの歴史
「社交ダンス」と「バレエ」
「社交ダンス」と「バレエ」。社交ダンスは自ら踊って楽しむものであり、バレエは鑑賞すべき舞台芸術ですがこのふたつは近年まで区別がありませんでした。ともにヨーロッパの一地方に生まれた民族舞踏を、社交、興行のために宮廷に取り入れてはじまった舞踏会を起源とするもので「ラウンド・ダンス」と呼ばれていました。
それが、見るものと踊るものの2種類に区別されるようになったのは、15世紀末のことです。当時フランスでは、舞踏に対して慧眼の持ち主だったルイ14世が、王立舞踏ダンスアカデミーを設立。舞台芸術としてバレエの創作活動を本格化させました。
カップルダンスの起源「ラ・ボルタ」

軍服と大きなスカートが特徴。飛ぶように踊られる「ラ・ボルタ」
一方で、16世紀、カップルで身体をくっつけて踊る「ラ・ボルタ」はイギリスのエリザベス1世のお気に入りのダンスでした。このダンスがボールルームで踊られた最初のダンスと言われています。この時、男子が軍服を着用し剣を通常左に携えているといった服装上の都合により、女子が男子の右側に立つという立ち位置から、より接近する新しいホールドスタイルが出来上がりました。
宮廷の「ウインナー・ワルツ」からカジュアルな「ボストン・ワルツ」へ

燕尾服とドレスで品よく楽しまれる宮廷ダンス
17世紀の中頃からは、バレエのテクニックであるターンアウトした足の使い方が、全てのダンスの基本となりました。その後、ヨーロッパではアメリカから新しい形式の「ボストン・ワルツ」が伝わりました。それは、ヨーロッパの「ウィンナー・ワルツ」がアメリカに渡り、自由を謳歌するアメリカ文化の中で全く新しい別種のダンスとしてリニューアルされたものでした。ゆったりとした三拍子で踊るボストン・ワルツの流行は、ダンスをバレエの技術から解放し、ターンアウトした足の使い方は重要ではなくなりました。
アメリカからヨーロッパへ逆輸入。今日の「ワルツ」へ
1920年、新しいダンスを確立するため、国際ダンス会議が開かれました。そこでボストン・ワルツ、フォックストロットなどがその対象のダンスとして挙げられます。バレエの技術から解放し自由に踊れるダンスの象徴だったはずのボストン・ワルツが、競技ダンスという新しいスタイルにいち早く定型化されたのは、面白い歴史です。その後、ボストン・ワルツは単純に「ワルツ」と呼ばれるようになり、社交ダンスといえばワルツ、と言っていいほど最もポピュラーなダンスとして定着していきます。
音楽と代表曲
音楽の構成
音楽の拍子記号は3/4で1小節は3拍から構成されます。「強拍、弱拍、弱拍」のリズムで
123 223 323 423 ・・・
とカウントします。
ワルツの名曲
『ムーン・リバー』(Moon River)
映画「ティファニーで朝食を」で、主演女優のオードリー・ヘップバーンが劇中で歌った曲。
オードリー・ヘップバーンが出演する「昼下がりの情事」「戦争と平和」にも有名なワルツの曲が使われている。
『魅惑のワルツ』 (Fascination)
映画「昼下がりの情事」の主題歌として使用されリバイバルヒットした。
数多くのアーティストがカバーしている。「ナット・キング・コール」のjazzバージョンも有名。
『テネシー・ワルツ』 (Tennessee Waltz)
カントリー歌曲を「パティー・ペイジ」がカバーし、大ヒットした曲。歌詞は、
♪ 私は恋人とテネシーワルツを踊っていた。 偶然、旧友に会ったとき、私は友人を恋人に紹介した。
♪ そして友人と恋人が踊っている間に、友人は私の恋人を奪ってしまった。
という悲しい曲。
まとめ
これであなたもワルツ通です。
ヨーロッパからアメリカへ、アメリカからヨーロッパへ。少しずつ変化しながら、今日の優雅で気品あふれる踊りになったワルツを、3拍子特有の少し悲しい雰囲気を含んだ美しい音楽に合わせて楽しみましょう。
それでは、すてきなダンスライフを!