
サンバとは
The History Of Samba
ブラジルのバイーア地方。19世紀、この土地から「サンバ」は生まれます。バイーアとは湾を意味する言葉で、奴隷貿易のためアフリカから多くの黒人たちがそこから上陸しました。その黒人たちの民族舞踏のひとつに、輪になっている人たちが手拍子で即興的に歌いその輪の中で女性たちが踊るものがサンバと呼ばれていました。その後、バイーアからリオ・デ・ジャネイロに移住したアフリカ系黒人の「バトゥカーダ(打楽器のみの構成によるサンバ)」、「ルンドゥー」、ブラジルのジャズと称される白人系の音楽「ショーロ」などの要素が取り込まれ、現在はブラジルを代表する音楽となっています(遡ってブラジルの歴史を見てみると、1763年、ポルトガル語で救世主=キリストを意味する「サルヴァドール」から「リオ・デ・ジャネイロ」にブラジルの首都が遷都しています。このサルヴァドールがバイーアと呼ばれる土地です)。
1888年の奴隷解放後、リオのカーニバルに黒人たちが打楽器を持って参加するようになります。日本人の感覚では、悲しい時やつらい時は暗くマイナー調の曲になりますが、ブラジル人は、日頃の不平不満や悲しみの陰を陽に反転させ、リズムもメロディもそこ抜けに明るい元気づけられるようなサンバの曲に乗って、三日三晩、カーニバルで踊ります。
社交ダンスのサンバとカーニバルのサンバは、音楽も踊りも異なります。カーニバルのサンバは大勢の民衆が一緒に音楽に合わせて踊るというものです。上流階級の人たちには向いていませんでした。上流階級の宅邸では「マシシ」というカップルダンスが踊られていました。このマシシがサンバとして1914年に「フォックストロット」と同時期にイギリスに伝えられます。この時点ではサンバは単純化されていて大きな特徴であるボディ・ムーブメントやボディ・リズムは取り入れられていませんでした。その後「ポルカ」などの影響を受け、1960年代に競技ダンスとして取り入れられ、多種多様な打楽器のリズムの違いがムーブメントの違いになって現れる踊りとなったのです。
音楽と代表曲
音楽の拍子記号は2/4で1小節は2拍です。サンバのフィガーは、この音楽の多様性からして異なった多くのタイミングが要求されるステップで構成されています。これがこの種目の特徴であり、それを理解して踊ることがこの種目の楽しみ方です。
代表曲:『Garota De Ipanema(イパネマの娘)』 『Tico Tico(ショーロの大ヒット曲)』
『Aquarela Do Brasil』